Masuk勝負自体は七岸さんの勝利に終わった。接待だから本来は聖子を勝たせないといけないわけだが、回り将棋は運のゲームだからどうしても狙って勝たせるのは難しい。
とはいえ、聖子自身は十分楽しめたようで、ぺたんと座り込み、壁にもたれながらふう、と息をつく。その表情はどこまでも柔らかく、嬉しそうだった。「……うん、あたしの負けだね。おめでとう。楽しかったけど、疲れた……」「はぁ……はぁ……せ、誠二様。サトラレの霊が、かなり小さくなりました」 そうか! あと一歩じゃないか。俺は熱をこらえながら七岸さんの手を握る。「希望が見えてきたね! あと一息で七岸さんのサトラレは治る! いける!」「はい!」 接待はつつがなく終わらせることが出来た。残る問題は割れた茶碗だが、これは金接ぎすればいいだろう。そうすることで七岸さんとの絆が加わりより一層深い品に……。「さて、じゃあもういいかな」 聖子はそう言うと立ち上がり、七岸さんの傍まで歩み寄ってきた。 それを見て七岸さんも立ち上がり俺はふうと息をつき、聖子がソファに腰掛けるのを待って切り出す。 「よし、まずはこのサトラレを抑える方法を模索しよう」 一等車は二等車と違って等間隔に椅子が設置されているわけではない。まるでホテルの応接室のようにフカフカのソファにマホガニーのテーブルが円卓状置かれ、ゆるりと出来るようになっている。テーブルの上には退散する前に駅員が用意したお茶が人数分置かれていて、汽車の振動に合わせてカタカタと揺れている。 「そろそろ次の駅につくけれど、どうするの?」 「決まってる。汽車は止めさせない! そのままぶっちぎらせろ!」 「ええ、わかったわ!」 鈴子さんはそう胃って立ち上がり、機関夫の元へと駆けていった。十二単が汚れるなんて露ほども気にせずに。 俺は頭をかかえる。 「必ずあるはずだ。俺に出来ないことはない! 逆境よ吹け! 嵐となって俺を襲え! その全てを打ち砕いてやる!」 と、そこで妙案が閃く。俺はぱちんと指を鳴らす。 「よし、聖子。さつきさんを寝かせよう。起こしてるからまずいんだ!」 俺の言葉を聞き、聖子もぱちんと指を鳴らす。 「流れる石兄者! それでこそスーパーグレイテストデンジャラス兄者だよ! ねー、うりっち」 「にぃー」 うりっちは前足を突き出し、賛同の意を示すように高く高く返事するのだった。
汽車に乗り込み、さつきさんをソファに寝かせる。一等車に儲けられたフカフカのソファは大きさもあり、さつきさんを横にしても十分スペースが確保できていた。 「はぁ……はあ……うっ……く……」 (――――――――――――――――) 脳に直接届くデストラクションテレパシー。 傍で看病している俺は思わず顔をしかめてしまう。 「ぐ……なんて……悪意だっ!」 と、周囲を見るとどうやら俺だけでなく、聖子も、鈴子さんも、うりっちでさえも同様に苦しそうにうずき出していた。 どうやらこの念波、かなり広い範囲にまで届いている模様。 と、機関夫が大慌てで一等車の車両へと乗り込んできた。 「い、入地様! た、大変です。駅員にも被害が……っ!」」 「げ……そっちにまで拡散してるのか! 鈴子さん!」 「ええ、任せて! 車内にいる全駅員に通達! 必要最低限を除いて避難! さらに下車した駅員は他の駅に連絡! 東京に行くための便を除く全ての運行を停止し、ただちに全員退避! 本日は一つを除いて全て不通です!」 「は、はい!」 機関夫は頷いて一等車を飛び出した。途端、汽車は緊急停車し、駅員たちが蜘蛛の巣を散らすように退散していく。しかる後、汽車はぼーっと音を立てて運転を再開した。 「まさか……ここまで拡散するとは……」 がたんごとんと音を立てて揺れる汽車。窓から流れる景色は田舎を表象するのどかなものであるのに、冬の灰色の空と相俟って酷く不気味で陰惨なものへと感じさせる。 「誠二さん、まずいわよこれ、どんどん念波が拡散されているわ……言語にすらなってない念波。一応全員逃がしたけど……」 「助かるよ鈴子さん……。駅がガラガラだ」 どうやら連絡は上手くいったらしい。駅を通過する度にその人気の無さに驚く。勿論ノンストップで突っ切っているのだが、万が一ということもあるからな。 鈴子さんはソファに腰掛けながら、ははと苦笑い。 「私の権力の限界よ、これ」 「いや、十分だ。ありがとう」 常人にはこんなことすら絶対に出来ないからな。 元老にでも不可能
さつきさんの体、もといサトラレに異変が生じ、俺たちは急遽東京へ戻ることにした。 これは山口ではまだ研究所が関係しておらず、新聞社や雑誌社、精神科医の心に幾許かの疑いが残っている場合、すっぱ抜かれたら大変だからである。 さつきさんの将来を考えた場合、山口でコトを治めるのはどう考えても危険だった。 たとえサトラレを征伐できたとしても、彼女はそれからも何十年と生きていかなければならない。今日だけどうにかすればいいわけではない。 そう考え、俺や鈴子さんのお膝元である東京でなら情報統制もしやすいし、医療機関も充実している。山口はにぎやかな所だが、東京ほどではない。帝都とまで呼ばれるにはワケがある。 彼女から放たれている念波が周囲に拡散するリスクはあるが、それは山口にいても同じこと。むしろ人が多い方が隠しやすいのだ。 さて、以上の理由によって東京に向かうこととなったわけだが、ここに問題がある。 どうやって帰るかということだ。 まさか山口から東京まで悠長に歩いて行くわけにいかないし、自動車なんて誰も持っていない。いや、入地家もしくは市川電機本社に行けば流石にあるが、そんなもん呼び寄せる時間もない。 従って、汽車以外に帰る手段がなかった。 汽車。つまり駅を経由する。人がいる。さつきさんのサトラレが彼らを襲う。 この問題をどう解決したかというと―― 「誠二さん、一等車を貸し切ったわ」 鈴子さんの無敵の権力にあやかるしかなかった。 彼女はまず東京までの路線を独占した。さらに警察を動員し、乗客たちを強制的に追い払った。日本は法治国家ではなかったのか? という疑問すらわき起こる強権である。 とはいえ、今はそんな彼女が凄く頼もしい。 「さ、流石だね鈴子さん。取り敢えず、行こう、さつきさん」 「う……く……う……」 俺の肩に抱かれるさつきさんはまともな返事もできず、苦しそうにうめき声を出すことしか出来ないようだった。 それと同時に、声にならない謎の念波が、ちりちりと俺の脳みそを焦がしてくる。 痛い。吐き気もする。倒れそうになる。で
ともあれ、強敵だった鈴子さんとの戦いは終わった。俺たちは勝利したのだ。 「あと一歩だね、さつきさん」 さつきさんは嬉しそうにパナマ帽をあげて笑顔を見せつけてくる。 「はい、あと一歩ですね。それにしてもスカしてますね、誠二様は」 「嫌?」 「いいえ」 ああ、やっぱり彼女は素晴らしい。俺は微笑みを帰しながら、優しく囁く。 「さあ、市川家に戻ろう」 「あのクソ成金な大豪邸ですね。日本の住宅事情を考えると許せない……んっ!」 途端、さつきさんが胸を押さえながらうずくまりだした。 「え!? ど、どうしたのさつきさん!」 「う……あ……な、なに、これ……」 見える。これは――霊だ。あの時以来に見える、黒い影。それがさつきさんの背中からまるで醤油のシミのようににじみ出してくる。 「さつきさん! ん!? これは……」 だがあの時とは少し違う。影がどんどん濃く、大きくなっていくのだ。 俺は咄嗟に彼女を抱き上げる。 「祠の力、いや呪いが……さつきさん! 逃げよう!」 ――直後。 「ダメ、動けない! きゃああああああっ!」 ぐりん、と脳に異変が走った。 「遅すぎ……たの、か……?」 ひょっとしたらこんな日が来るのでは無いかと思っていた。いずれあるのではと。 でもまさか、こんなタイミングで来るとは予想もしていなかった。 それにサトラレの暴走とやらがこんな形になるなんてことも。 「あ、ああああああっ!」 (――――――――――――――) さつきさんの心の声が聞こえない。代わりに送られてくるのは――念波。 脳をえぐるような異様な痺れが、俺の中に入り込んでいく。 「な、なんだ!? 脳に洪水みたいに……っ! なんだこれ」 たまらず、頭を押さえる。いや、俺だけじゃない。 「あ、兄者!」「誠二さん!」 この場にいる全ての人が、一様に同じ姿勢を取った。なんだこれは。 「みんな! くっ! これは……っ!」
勝負を終え、鈴子さんはがっくりと膝をつく。地面に十二単の袴がついて汚れるなんて気にも留めずに。 「はは……負けちゃった」 悲しげで、でもどうしてだろうか、さっぱりとした、やりきったような、そんなある種の爽快感が彼女の表情と声から感じ取れることが出来た。 ふと、気づいたことがある。 「ねえ、鈴子さん、もしかして、あの婚約って、俺を焚きつけるためにした?」 「……なんで、そう思うの?」 顔を上げる鈴子さんの顔は晴れ晴れとして、ああ、やっぱりそうかと確信に至らせる。 「鈴子さんらしくなかった。鈴子さんは確かにわがままな子だけどね、人が嫌がることは絶対にやらない子なんだ。なのにあの時だけは俺の嫌がることを進んでした。今回も」 「…………」 その沈黙は肯定だよ、鈴子さん。俺はにこりと微笑みながらすっと手を差し伸べる。 「そうか、そうだったんだ。やっぱり鈴子さんはホンモノだよ」 「ありがと。でも、初恋だったのよ?」 「……ごめん」 「わかった。じゃあ新聞社には退散させるわね。あれ、サクラじゃないから」 鈴子さんは俺の手を取ると、にやりと少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべた。 その顔に戦慄を覚える。 「……コネすげえ」 やはり彼女を敵に回すのは危険だったか。我ながらよく勝てたものだ。 勇気は勝利を産むこともあるが、大抵の場合は弾けて消える。 今更ながらどくんどくんと心臓が怪しく高鳴る。 するとお父様が俺たちの元へと歩み寄り「市川くん」と優しい口調で声をかけてきた。 俺は背筋を伸ばし、お父様と向き合う。 「あ、お父様お母様。いかがでしたか?」 「……わかりました。しかしさつきは我々にとって大切な一人娘なんです」 「はい、勿論わかっています。ですのでさつきさんのサトラレがなくなり次第、ご両親の元へお返しします。ご安心ください」 遠いけれど仕方あるまい。流石に一高を辞めるわけにはいかんからな。 すると鈴子さんがちょいちょいと俺の肩をつついてくる。 「いっそ東京に引
洋食屋を出た頃には再び空は曇天に覆われ、ぽつりぽつりと氷みたいな冷たい雨がしたたり落ちてきた。 これでは散歩も出来ない。次で終わりしないと風邪を引いてしまうだろう。 さて、何が良いかな、そんなことを考えていると、今まで黙って見守っていた鈴子さんがずいっと一歩前に踏み込み、 「中々やるわね。でもこれで終わりではなくてよ?」 そう言いながらぱちんと指を鳴らした。 何故だろうか、名状しがたい不安がこみあげてくる。 「鈴子さん……何をする気だ?」 戦慄が俺の体を震わせる。いや、俺だけじゃない。さつきさんもだ。彼女も肩を震わせている。それはそうだろう、今の鈴子さんの目は普通じゃない。あれは殺し屋の目だ。 と、奥から何やら新手が現れる。白衣をまとった男が一人、あと……警官が二人? なんだ、あれ? 「言ったでしょ? 私、本気だって。行くわよ、奥の手! きゃああああ! ここに狂人がいます! 精神科医の皆さん! あの女を連れて行ってください! 危ないです! 警察官のみなさん! 取り押さえてください!」 「な、なにぃ!?」 彼女は一体何を言っているのか! 鈴子さんは腰に手を当て、ふふんと勝ち誇った笑みを浮かべてくる。 「ふふ、さあ、どうするのかしら? サトラレを出したらもうそれは証拠よ? 一発で終わるわ。七岸さんは精神病院に送られ、死ぬまで外に出ることは出来ない」 「鈴子さん……なんてことを……」 「ランデブーどころじゃないわね? さあ、見事この関門を超えてあそばせ!」 関門って、なんだそりゃ。鈴子さんの目が怪しい。爛々と輝いている。 「せ、誠二様」 まずい! 「考えるな! 喋れ! 何でもいい!」 「は、はい! え、えーと」 「一足す一は?」 「に、二です! 一足す一は二! 一足す一は二!」 必死に心の中で何かを考えたりしないように、子供でも言わないことを繰り返すさつきさん。まさに必死だ。でも、その必死は今この状況においては命取りになりうる。 「年頃の娘がレコードみたいにそんなこと言っ
俺は一端土間を出て、外の空気を吸う。もう空は真っ暗で満天の星々がきらきらと輝いている。月は少し欠けているな。 肌をえぐるような凍てつく寒さが俺の全身にまとわりつくが、不思議と不快ではなかった。冬の透徹した空気が俺の肺に入り込む度に心が洗われるよう。 夕飯まで外で体操でもしようか。そう思って屈伸を始めた時、がちゃりと音を立て、七岸さんが出てきた。もう出来たのか? いや、手に何か持っている。円筒状の物体だ。 「あ、七岸さん。それは?」 「見てわかりませんか? 目が腐ってるんですか? クズ野菜などのゴミ出しです。これは裏に置いておけば
その後、俺は自室に戻ると私服に着替えて勉強を行う。壁にかけられた時計を見ると六時。そろそろ夕飯の時間だ。 七岸さんの様子が気になる。俺は鉛筆を机の上に置くと、ちょっと覗くことにした。 すると廊下でばったりと藤高に出会ったので、これ幸いと訪ねてみる。 「藤高、彼女の仕事ぶりはどうだ?」 藤高はきちんと気をつけの姿勢を取り、ハキハキと答えてくれる。 「はい、誠二様。真面目に丁寧によくやってくれています。いい仕事ぶりですな。女給経験があるのですぐに覚えました」 「それはよかった」 「ただ……やはり」
挨拶を終えた後、俺は七岸さんを地下にある使用人部屋へと案内した。 市川家には大小十五の部屋があるが、そのうち三つが地下にある。三帖一間の小さな和室で、ここを藤高以外の使用人が使っている。 「取り敢えず七岸さんはこの部屋を使ってくれ」 俺はドアを開け、七岸さんを中へと招いた。 七岸さんはトランクを置くと、驚いたようにキョロキョロと見回す。 「個室なんですね」 「ああ、うちの使用人には一応全員個室を与えている。まあ三帖しかないけど、そこは我慢して欲しい。君、学校とかは……」 「女学校は辞めました。言わなくてもわかるでしょ
その後、部屋や制服への着替えは後回しにし、まずは他の使用人たちに紹介をすることにした。場所は同じ応接室。使用人たちを呼び寄せる形だ。 「えー、みんな、今日から奉公して貰うことになった七岸さん。さ、ご挨拶を」 「七岸さつきです。それにしても成金趣味丸出しのクソ屋敷ですね。相当甘やかされて育ってきたのでしょう。クソですね」 (キャー! どうしてこんなこと言っちゃうのよ! 若様に失礼でしょうが! ああもうこんなこと言ったら嫌われちゃうじゃない! 大事な初日なのに!) 顔を真っ赤にさせ、両手で頬を押さえながら泣き叫ぶ七岸さん。 「「「………






